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仕事の人間関係が信頼へと変わる「教える」方法

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熱意だけでは相手に伝わらない

熱意がある先生とは、「3年B組金八先生」を思い浮かべる人が多いのでは
ないでしょうか?
私が子供の頃、学校の先生に叩かれ、怒鳴られの時代でした。
今では、パワーハラスメントですね(笑)
熱血先生は人の心を動かします。しかし、だからといって熱意を込めれば
うまく教えられるというとそうではありません。
熱意があっさりしている人、教え方がうまい人、そうでない人もいます。

ときどき、教え方がヘタなことことを穴埋めするために熱意でカバーする
人もいます。

「気合だ!」
「根性だ!」
「頑張ればできる!」
「自分を信じろ!」

体育系の男子に多いような…

これではかえって混乱させてしまうし、そう言われてもどう頑張れば
いいのか分からないだけです。

誰だって頑張りたいし、一生懸命やりたと思っているのですから

「どう頑張ればいいのか」
「どう一生懸命やればいいのか」

具体的に指示してあげることが教える人の仕事です。

教えられる人が、具体的に指示されたことをやり、その結果うまく
いけば教える人と教えられる人の間に信頼関係が徐々にできていきます。

「この人に教えてもらえばうまくいく」
と教えてもらう人が思うことができる

「この人は私のことを信じて教えたことを実践してくれる」
と教えた人が確信することができる

そうすれば、2人に信頼関係が構築されていきます。

逆をいえば
「あの人の教え方だと理解できない」
「質問しても威圧的な態度をとられる」
「自分で考えろと返される」
と教わる側がそう思った段階で信頼関係は築くことは難しいですね。

「教えても実践しない」
「居眠りされる」
と教える側が思っても信頼関係は築けないですよね。

信頼関係は熱意だけでは築くことはできず教えることはできないのです。

「教えたつもり」は自己満足

よく「教えたつもり」で満足している人がいますが、それでは「教えたこと」
にはなりません。教科書通りのことをしゃべって、マニュアルの通りに
教えるのであれば、教える人は必要ありません。教える相手に教科書
やマニュアルを丁寧に読んでもらえば、それで事足りてしまうからです。

「では、教科書やマニュアルを読むだけでは、なぜ不十分なのでしょうか?

それは、相手のレベルや理解度などに合わせて、教え方や教える内容を変える
必要があるからです。教えるためには常に相手がいるわけですから、その相手
に合わせて教え方や教える内容を変えなくてはなりません。

実際は

教える人は相手に合わせることよりも、
自分の教えたいこを一方的に伝えるような
教え方をすることが多い

教える人は「教えたつもり」になっています。
これでは、教えられる人は自分の学びたいことが学ベず、よく理解できない
まま時間を費やしてしまうだけでしょう。

よくありがちな場面として、

「これは前に教えたはずだ。何回言えばわかるんだ?」

上司であれば部下に、先生であれば生徒に、親であれば子に、
教えたことを理解してくれていないことに対して、相手を責める
発言はありませんか?

しかし、相手ができるようになっていなければ、
教えた人は「教えたつもり」になっているだけです。

正確には
「これは前に教えたつもりだったけれど、学んでいなかったのですね」

と言うべきです。
そして、自分が「教えたつもり」だったことを反省しなければ、
永遠に教え方が上手にはなれません。

「教える人」は「教えられる人」が理解できたかどうか
にかかっているのです。

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